将棋の歴史にていておしえていただけませんか?
将棋の歴史について教えて下さいませんか?どうやって日本に伝わったや昔は将棋はこうなんだったというとにかく将棋の歴史について教えてください。もしわかりやすいホームページなどもあったらのせてくださったらよりありがたいです よろしくお願いします
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http://www.jvnet.or.jp/~badz9005/tendo/rekisi.htm
http://www.kansai-shogi.com/museum/museum.html
http://www.syougi.net/koma_rekishi.htm
http://www.geocities.jp/kodaifk/rekisi2.html
http://www.rule-sports.com/shogi/history/
http://www.city.tendo.yamagata.jp/syougi/syougi-index.html
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%B0%86%E6%A3%8B/%E8%B5%B7%E6%BA%90...
http://www18.ocn.ne.jp/~tigers1/what_is_shogi.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~naisu/syougi/syougi.htm
http://contest.thinkquest.jp/tqj1999/20062/nomal800/
http://www.chushogi-renmei.com/koramu/koramu06.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E6%A3%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E...
この中にひとつぐらいは、子供でもわかるサイトがあると思います。
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<世界の将棋の仲間たち> 将棋の起源は、古代インドで遊ばれていたチャトランガというゲームであるといわれています。紀元前3世紀頃に、ガンジス川中流域で生まれたこのゲームをもととして、世界中にいろいろなバリエーションを持って広がっていったうちの一つが、将棋です。特にチェス、象棋(シャンチー)、チャンギ、マックルック、将棋が代表的で、これらは“世界五大将棋”などと呼ばれます。★西★ペルシャに渡りシャトランジとなり、まずトルコからロシアへ伝えられました。シャトランジは、イスラム教の“偶像崇拝禁止”の教えから、駒の姿が象徴的なものになりました(例えば“王”は、“玉座”で表わされました)。次に中東から、長らくイスラムの支配を受けたスペインへ伝わり、これがのちのチェスにつながっていきました。この途中で、様々な大型のチェスが創り出されていますが、なぜ大型になったのかと言うと、これらの将棋は取った駒を使えないルールだったので、最後駒が少なくなりすぎて勝負がつきにくかったので、駒を増やしたんです。チェスは結局、駒を強くすることでそこを何とかさせました。(但し、チェスに引き分けが多いのは事実です)。チェスでは、非常に強いクイーン(女王、縦横斜めにどこまでも)が生まれました。アフリカにもまた別に伝わっているようですが、関係がよく分かっていません。★北★サマルカンド経由で、チベットやモンゴルに残っています。チベットの将棋は、モンゴルのシャタルと似ているようです。シャタルは、木彫りの駒のウサギがかわいいですよ!…話逸れました。★南★スリランカから、8世紀には海を渡りビルマに伝わっていきました。タイへ伝わったルートはよく分かっていません。タイのマックルックは、将棋と似た点が多く(三段目での成り、銀と象の動きが同じことなど)、南方伝来説の支えになっています。タイは仏教国なので、マックルックの一つひとつの駒のデザインは、タイのお寺の屋根のような形をしています。駒の名前に、貝や種などがあり、貝や種が実際駒代わりに使われたと考えられています。★東★中国に伝わりました。唐の時代には駒はマス目に置いて、形で駒を表わしていましたが、北宋の時代から、駒が漢字で表わされ、線の交点に平たい駒を置くようになりました。シャンチーは、ユニークなルールを持っていて、まず九宮と呼ばれる城に見立てられる所から、将と士(後手なら帥と仕)出られません。また、中央の一列は大河に見立てられていて、縦線が引かれていません。相(象)は河を越えられません(重過ぎ?)。兵(卒)は河を越えると戻れなくなります(前進あるのみ…?)。中国からは朝鮮をはじめ、ベトナムなどに伝えられています。朝鮮のチャンギも、駒は交点に置きます。宮から出ることはできませんが、河はありません。
<日本将棋> 将棋がいつごろ、どのようなルートで日本に伝わったかは、まだ判っていませんが、早いものでは6世紀ごろとされています。ルートについては、今のところ、中国伝来説(タイ→ベトナム→中国→朝鮮半島→日本)と南方伝来説(タイ→ベトナム→台湾→琉球→日本)がよく言われています。一番昔の、将棋伝来から鎌倉時代前期ごろまで指されていた将棋は、「平安将棋(盤面9×9マス、36枚)」呼ばれていて、今の形から大駒を抜いた形です。この当時は、まだ持ち駒は使っていません。また「平安大将棋」というものもありました。やはりこれもビッグバージョンです。13世紀ごろには、さらに駒を増やした「大将棋」が遊ばれるようになり、「大将棋」の飛車・角行・醉象を「平安将棋」に取り入れた「小将棋(今の将棋に、各1枚玉の上に“醉象”がのっかった形です。この駒は成ると“太子”になり、玉が取られても次の大将となるので対局が続きます。)」も作られました。15世紀ごろ、複雑になりすぎた「大将棋」をコンパクトにした、「中将棋(12×12マス、92枚、これは今でも遊ぶ人はいます)」が作られました。16世紀ごろに、小将棋から醉象が除かれて、今の将棋になったと考えられています。(醉象を残したまま再使用できるルールにすると、取った醉象を敵陣に打ち込んで成ることで、対局が終わらなくなってしまいます。)駒の取り捨てルールで引き分けが多くなるので、相手の駒を取った後自分の駒として使えるようにすることで、勝敗がつきやすいようにしたのです。…また話がそれますが、『トリビアの泉』で、伊藤博文六段と安用寺孝功(当時)五段が、旅館に泊まって、3日をかけて「大将棋」を指したことがありました。2人は2度とやりたくないと言っていましたが…実際やったら気が遠くなりそうですよね。
参考になればうれしいです。
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こちらをどうぞ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E6%A3%8B
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