将棋の強い人は負けず嫌いな人が多いですが、将棋が強くなることで負けず嫌いがひどくなるのでしょうか
いままで、何人も負けず嫌いの将棋好きの人を見てきたのですが、強くなることで性格がゆがんできているように思えて仕方ありません。
彼らは将棋は強いんですが、負けると、子供でもしないような、みっともない言い訳をしたり、なにかと潔くないのです。
将棋以外でもそんなところがあって、びっくりすることがあります。
本性が出ているだけなのでしょうか。あるいは、本性が出やすくなっているのでしょうか。
この知恵袋でも見かけますが、その傾向はあるのでしょうか、また、どういう理由でそうなるのでしょうか。
囲碁のほうのお話でもかまいません。
|||
将棋派ですが、あんまり負けず嫌いではないです。いわゆる勝負事も嫌いです。パチンコ、賭け事、競輪、競馬、全くしません。将棋だけです。将棋で負けたら確かに悔しいですが、言い訳はする必要がないです。自分のミスか、相手が上手だっただけのこと、理由は明白ですから。ただ性格が完璧主義になった気はします。僅かな乱れや、油断が凄く気になりだした気はします。それと人生と将棋を結びつけて、考えるときがあります。会社で自分に不利な環境や状態になったとき、相手が動きすぎ!や攻めすぎ!(将棋用語ですが^^)と感じたら、じっと墓穴を掘るまで待ち、自滅を待ちますね。自分から墓穴を掘る行動は取らなくなりましたね。相手が世渡り上手だと感じれば、長時間掛けて相手をじっくり観察して、弱みを探し料理します。それと他人の行動をまず観察して出方を見てから、自分が行動、判断する習慣がつきましたね。それと人生においても、無意味な言動はしなくなりました。すべて計算や目論見を持っていますね。すべて将棋に共通する考えです。将棋に出会ってからいわゆる世渡りが旨くなりました^^まあこれが将棋を始めてそうなった、他人から見ればなんとも嫌味な性格でしょうかねえ^^でも相手が攻撃してこなければ、相手しませんから勘弁してください^^きたらトコトンやりますが。将棋は性格が残忍になるかもと、少し思いました。反省^^
|||
将棋が強くなることで負けず嫌いがひどくなるのではなく、負けず嫌いがひどい人が将棋が強い、ではないか。
「負けず嫌い、精神年齢が低い、すぐにカッとなる、BA乞食、オタク、カテマスター」
これらをすべて満たしている人がいるが、どうしてそのように堕落したかといえば、たぶんリアルでの人間関係の構築ができないのであろう。
|||
負けず嫌いの人ほど、負けるのが嫌で、勝つための努力をするので
強くなれるのです。プロはすごく負けず嫌いですよ。将棋に負けると
夜一人で泣いているタイトルホルダーもいます。
ライバルを作って、負けて悔しい思いをすることが、将棋上達の一番の
近道ではあります。負けても何と思わないと、強くもなれません。
ただ、負けた悔しさを表に出すか、心にしまって置けるか、はその人次第ですね。
トッププロは、負けたからと言って、みっともない言い訳をしたりしませんが、
心の中では悔しくて悔しくて仕方がない状態になっています。
将棋が強ければ、何でも許される、というような横柄で偉そうな態度を
取る人も中にはいますが、こういう人は、将棋以前に人間性を学んで欲しいものです。
|||
将棋なんてやる人間は負けず嫌いです。
(てか、将棋に限らず勝負事をやる人間はそうでしょう。)
そういうのを律するのがマナーですが、
将棋道場ならばそういうことも身につきますけど、
ネットでやってるような人だと身につかないかと。
また、小規模の将棋倶楽部なんかに入って、お山の大将になっちゃってるような人も同様ですかね。
|||
私は、囲碁をやっているものですが、囲碁や将棋をやっていると勝ち負けにうるさくなってしまうのはそうだと思います。
ただ、負けると、子供でもしないような、みっともない言い訳をしたり、なにかと潔くないというのは、いい意味でとらえると、問題の彼らなりの次につなげようという反省ではないでしょうか。
よく考えてください。学校のテストでもそうですが、悪い成績とる連中は、どんなに悪い成績とっても何も言い訳せず、何もしないではないですか。
言い訳することは、潔くないということではありません。
例えば、囲碁や将棋のプロ棋士は、どんな上手が相手でも、こうすれば勝っていたと言うそうですよ。
むしろ、失敗したことを、ほったらかしたり、平気な顔したりにすることの方が、長い目で見て、潔くないということではないですか。
さらに言ってしまえば、人間の本性は、たいていの場合負けず嫌いなものです。
それを、ただ隠しているのは、かっこいいことでも何でもありません。
0 件のコメント:
コメントを投稿