団鬼六の読み物の中で「小池重明」という棋士がでてきますが、
実際小池がプロになれていたらどの程度活躍できたでしょうか?
素行の悪い人のようでしたが、そのことでのトラブルは考慮せず、
棋力だけで判断した場合でお願いします。
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小池氏がアマプロ戦で勝った相手は今では殆どフリークラス(C2の下のクラス)
になってしまったように強い人は少ないです。
現在フリークラスでない人ではB2の森九段(当時八段 昭和57年)、
田中九段(当時四段 昭和56年)、中村八段(当時四段 昭和56年)くらいです。
角落下手の実績は
大山(1-0)、升田(0-1)、中原(1-1)、加藤一二三(0-1)、米長(1-1)森(1-0)
のようです。
(対米長戦で米長氏が勝った棋譜は小池氏が若い時なので
古いため私もまだ見てはいませんが)
今の若い人では、行方八段、鈴木八段が奨励会三段の頃、
団氏が賞金を懸けた将棋で勝っているようです。
(これは寸借詐欺事件で失踪後のことです)
負けた人では、今ではフリークラスでC1に上がったことのない武市六段に
将棋世界のアマプロ戦で負けています。(当時四段 昭和58年)
高橋九段(当時四段 昭和56年)にも負けています。
順位戦のクラスであれば、一番良くてもB2、
まあC1まで上がればいいところだと思います。
(アマチュア時代に対プロ棋士17勝6敗でプロ入りした瀬川四段が
フリークラスからC2に上がるのにかなり苦労していることなどから考えて)
ただ、同じくアマチュア出身の櫛田六段がNHK優勝や
全日本プロトーナメントで挑戦者になったりしているので、
早指し棋戦なら、少なくとも同じくらいは上位に食い込む
活躍が出来たと思われます。
プロ入りの話が将棋連盟理事会で否決されたときの
正確な年代がちょっとすぐにはわかりません。
(詰将棋作家である桑原辰雄氏の将棋世界誌への投稿
「アマ名人K池J明氏の子供将棋教室に
関する寸借詐欺?(の様な内容)」 が行われる前です)
多分、武市六段との対局(昭和58年)より少し後だと思います。
また、故松田茂行九段(プロ入り話の後見人)が
存命のころなので昭和63年以前です。
読売新聞で寸借詐欺事件が報道された時の年月も
調べれば判ると思いますが当然それ以前になります。
この時期ではなく失踪事件後にプロ入りしたとすると、
羽生世代+ポスト羽生世代(木村、三浦、久保、鈴木、行方、屋敷…)
等と当たるのでC1に上がるのも大変かもしれません。
故村山九段には奨励会5級くらいのときに負けているようです。
あと、Wikiに小学生時代の羽生善治氏が小池氏の将棋を見たとなっていますが、
これは間違いでその1年前のアマ名人戦都下予選決勝の将棋だそうです。
(羽生氏の記憶違いで残っている棋譜の記録係名から判ったそうです。
当時から八王子将棋クラブは通っている有望な少年に決勝戦の
棋譜をとらせており、1年後は奨励会に入会したため)
失踪事件後、茨城県石岡市で行われた紺野アマ七段昇段記念大会で
実際初めて小池氏の将棋を見たそうです。
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かなりやれてたでしょうね。対プロの勝率がとてもよく終盤プロに間違えさせるのは
相当の実力がないとできません。相手に悪手を指させるのは実力なのです。
最近では羽生が森内にポカさせたのが有名ですね。体調も万全なら棋戦の優勝はしてるでしょうし、
タイトル挑戦もしてたでしょう。最低B1は指せてたと思います。
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