2012年2月23日木曜日

将棋倶楽部24にはまって、学業や仕事を棒に振った人は、少なくないと思われます...

将棋倶楽部24にはまって、学業や仕事を棒に振った人は、少なくないと思われますが、どこに問題があったのでしょうか。

別に将棋にかぎりません。パチンコやゲーム機も似たようなもので、将棋だけがわるいというわけではありません。

しかし、将棋とは、わりとのめりこみやすいゲームである、ということはのめりこんでからわかるというのが問題かもしれません。



しかし、それ以上に、将棋倶楽部24には、会員を喜ばせ、のめりこませるための仕組みがあるんじゃないでしょうか。

たとえば、最高R、ちょうどいい相手を探すためのRと考えれば、余り意味はないと思いますが、24がそれを表示すると、目標になってしまうということを考えたでしょうか。

案外それをあげるために多大な時間を費やすことになった人も多いでしょう。目的が将棋で遊ぶことではなく、最高Rの達成になってしまって、多くの将棋廃人を作っているわけです。

指しすぎに注意、と書いておきながら、ほどほどにできない仕組みを作るのは矛盾しています。

社会的に見て、それどうなんでしょうか。


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私自身の経験から言えば、目に見えないものをわかりやすく数値化にしているところに、ネット将棋(に限らずゲーム類全般にいえるかもしれないが)の魔力があるような気がしています。



個人の強さや価値を数値化する・・・。確かに非常に合理的ではありますが、このことは、人間をたった一本のベクトル上で優劣順に並び替えるという愚かしい行為であるとも言えると思います。



このような価値観が、現代の社会ではより力を持っている。「数値を上げること」が目標であり「数値が高いこと」がより価値のあることであるという風潮は、誰もが感じるところではないでしょうか・・。(もちろんこれは社会の風潮というより、人間が本来的に持っている習性なのかもしれません)



「数値化」は現代の殺伐とした空気、世相を反映している、といえば大げさですが、数字しか信用できないような状態は、人間として、ありとあらゆる意味において非常に危険な状態であると私は感じます。



将棋倶楽部24の話から少しずれてしまいましたが、24は、まさに「強さがすべて」の世界。だからこそ、マナーにも厳しいのでしょう。そこは健全であると思います。が、逆に、挨拶はボタンを一押し、チャットもかなり制限されている(マナーが悪いと判断されるとすぐに会員停止らしい)ので、非常に人間味のない、つまらない世界でもあると感じました。このあまりにもわかりやすい世界に、依存傾向を示す人が少なからずいる(以前私もそうでした)ということは、考えてみれば当然のことであると思いますし、問題があるのではないか、と個人的には感じています。



最後に。平成21年度将棋年鑑において、棋士へのアンケート「今、自分がプロを目指す子供なら、何をする?」と言う質問に対し、「将棋倶楽部24で指しまくる」というような回答が現役のプロから少なからず出たことは、私にとってはある種の幻滅を感じさせるものでありました。



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オンラインゲーム依存症自体社会問題になってますね。

僕も弱いですが将棋依存症気味になっています。

無料だからパチンコだのギャンブルに嵌るよりはマシなのかもしれませんが。


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(編集前の支離滅裂?な回答は忘れてください)



自分が子供の頃は

「怪我をする方が悪い」「自分で遊び方を考えろ」「ファミコンは1日1時間(笑)」

という時代でした。

「怪我をする(あるいは事故が起きた)から公園の遊具などが次々と撤去される」

今とは正反対です。

これと同様で、自分には

「ネットにはまりすぎる(ネットの「使い方」を知らない)方が悪い」

としか思えません。



最近では学校でもPCを使うのが当たり前の時代ですが、

何より教えるべきはPCの「技術」「知識」ではなく、「心構え」だと思います。


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質問が社会的にレーティング性がどうなのかという問いならば、

まったく問題ないでしょうね。。。





世の中のありとあらゆるものがランク分けされています。

それを悪とするならば、社会のシステム自体を変える必要があるでしょう。

レーティング、要するに順位づけがあろうが無かろうが、そんなことは関係なしに自制できるべきものなので。





まぁ、そもそも、多くの将棋廃人云々自体、ソースがあるとは思えないのですが・・・?

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